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佳き日々記

1月31日、佳き日。

クラシカルなオーディオから歌姫中森明菜様。

歌姫の麗しく儚く切ない声を聴きながら

珈琲飲んで、一人時間。


ここのところ、ほぼ家に引き篭もってます。

1日のほとんどは内観と身体手当。

内観も結局は心の手当だったりするから、

生きてて本当に「ご自愛だけに1日を使う」

というとんでもない贅沢の極みを暮らす日々。


皆様はいかがお過ごしでしょうか?

八ヶ岳は

というよりも

こちら標高700メートル前後の古民家は

全ての障子&襖が建物の傾斜により

2㎝くらい開いておりますので

基本外気温。

外気がマイナス9℃なら部屋もマイナス9℃。

ストーブ様2台稼働とコタツ様のコンボですが


あそうだから何?

と言わんばかりに

隙間風が全方向から容赦無く襲来。


 小藪さんのすべらない話とかが心の支えになる寒さです。


まだ1月なのにね。

2月どうなるんだろうね。


それは、まぁ、2月になったら考えましょう。


はてさてそれでは

だだだだだと振り返ります。

というか本当にシンプルな日々です。

私史上最高にシンプル。

シンプルの極み乙女46→47才。




1月16日。

ノートに一番古い記憶から全部書き出す。
ひたすらに書き出す。
書いてて思い出すこともあって芋づるな記憶のカケラも全部。

蓬の煙で温熱療法。ニガリ丼1杯投入風呂かなり吉。


1月17日。

鬼会の衣装である着物を洗い、
お米を干してたシステムに丸っと干す。

幼少からの記憶ノートに書き出し続き。
初めは自分がされ「ちゃった」ことばっか出てくる。
でも途中からは自分が「しちゃった」ことがどんどん出てくる。戦慄。

雑穀ご飯と味噌汁が染みる。


1月18日。

ひたすらにノート書き出しと温熱手当。

珈琲豆焙煎して、「欲しい」って言ってくださった方へ発送。嬉しい。
隣のおばあちゃんと煮物の交換。あったかい。


1月19日。

ノート書き出し。温熱手当。
これが私にとって芝居の準備なんだって実感する。

自分をよく観る事、自分に触れること。

自分が観てないと、誰か観て!ってなる。
自分が触れてないと、誰か触れて!ってなる。

そういえば、

あと坂爪圭吾さんの言葉にすごく心がギュンギュンと動く。坂口恭平さんも。

この2人は両人とも実際に逢ったことがある。

坂口さんは一緒に福島っ子の保養キャンプ「0円キャンプスクール」をやってたし、
家族ぐるみでよく知ってる。
というか、私は311直後の熊本の「ゼロセンター」の滞在者一期生です。

そういえば前に京都の鞍馬で毘沙門天の象の前に立った瞬間に坂口さんから電話が来て
「いちこじ、あのな俺、毘沙門天だったわ」
「うん、今じゃああーたの前に居るわ」

と言って切ったのは佳き思い出。

坂爪さんは、横浜の「ごちゃまぜの家」にお邪魔したことがある。
でも緊張しまくってほとんど言葉を交わさなかった。

すっごいビビってた私。

いや、これ決して、坂爪さんが怖い人!
という意味ではないですからね。

ただ、
同じ空間に居て動機が激しくなり身体が硬直しまくって、
全然自然にそこにいられなかった。
自意識がスパークしてバグってたな。
懐かしいな。


ともあれ、
このお二人の存在、
このお二人の言葉達や実際の振る舞いは

いつも私の心を揺さぶってくれてすごく稀有な、ありがたい光。

乃木坂の生駒里奈ちゃん

元欅坂の平手友梨奈ちゃんが好きな私ですが、


この4人を私の中の


 「坂」道グループの奇跡


としております。


 ええ、私はアイドルが大好きです。ジャニーズもモー娘。も大好きです。


大丈夫ですか?
え、何言ってんのかちょっと分かんない
ってなってるかも知れませんね、
大丈夫です。


     大丈夫、私もあなたも。続けます。



1月20日。

コロナ関連で息子が予定より早く寮から戻ったので、私も予定を早めて東京へ。

家に着くなり、なかなかなバースディディスプレイに極まる。

プロデュースドバイ旦那さんの鍋を食し、

砂糖一切NGとなっている私に
「これならいけんじゃね?」とセレクトしたらしき
いろんなものがテーブルに並んでて、さらに極まる。

誕生日は22日だから完全に油断してた。

プレゼントにジャズのレコードともう1枚、

なんと中森明菜様のレコード(アナログ収録)を受け取り、
感激メーター振り切る。旦那さんは本当に贈り物を選ぶのが上手だ。すごい。
啓斗からの手紙は絶対に私と一緒に燃やしてもらうことにする。
そして添えられた旦那さんの俳句に身が引き締まる中、旦那さんと啓斗から

「明日は1日、ナッツ(←今私はこう呼ばれている)の独身時代の足跡をたどります!ツアーを敢行します!!」

と発表されてのけぞる。


1月21日。

支度を整え、ツアー開始。

啓斗の計画に沿ってまずは大学へ。二松学舎大学。目指せ九段下。


ちなみに1年2年は千葉の柏でした。

あぁ、懐かしい。


神道に興味があり国語教師を見据え国学院大学を目指していた私はなんと1点足りなくて落ちて

(その年に限って補欠合格なし。合掌。)

受験勉強中に付き合い始めた彼氏が目指してた二松学舎大学に、

あ、ここも国語の教員資格取れるんだ!

ということで、


一緒に勉強して💛
一緒に受験して💛
一緒の大学に4年間通うのもいいじゃない💛

と國學院不合格のショックから舵を切って


一緒に勉強して💛

一緒に受験して💛

一緒に合格発表観に行って💛




 私だけ受かってた。



ということで、ほぼ事前知識なく二松学舎大学に通うことになり、
さらに1年と2年は柏の校舎で、
でも諸事情により一人暮らしでなく家から通うことになりましてね、


通学、7時間。毎朝5:35の始発に乗る。


を経ての3年になってついに九段下で。
武道館の大きなタマネギを毎日横目に通った2年間。
懐かしいにも程がありましてあれこれと昔話を2人に聞かせまくりながら

大学付近をうろつき、靖国神社とか、千鳥ヶ淵をウロウロし、
よく行ってたコンビニとかにもキャイキャイ言いながら、そのまま飯田橋まで歩く。神楽坂へ。


当時通ってた喫茶店(生クリームを薔薇の形に絞ってくれてた珈琲美学とか!)
甘味処(抹茶ババロアは完全に国宝の紀の善とか!)が軒並み閉店してたり、
路地裏がなんか整いすぎてて切なかったりもしましたが
ともあれ思い出ばかりが目白押しのエリア。息子は50番の肉まんを頬張りほくほく。

そこからお次は新宿へ。


ここは参宮橋ゲイ7人と同居時代、

方南町で女子4人圧倒的貧乏時代、

笹塚いろいろ超ミックス同居時代、

などなど、バイト先の新宿南口に自転車で
通える場所に暮らしてたその総決算の街。


バイト時代のあれこれを思い出し、

あんな店こんな店をキョロキョロしたりして

思い切りノスタルジックに浸る。

当時、
クリスピークリームドーナツがオープンして、

大々的な行列に朝から(深夜バイト明けに)並んで、
並んでるとですね、熱々の出来立てのドーナツを1人1つ配ってくれてたんですよその時。


あれは美味しかった。

もう、もらえる前提でホットコーヒー持って並んでた記憶もある。


とかもあったなぁ。



そしてメインイベント。

独身時代最後に住んでた南台のアパートを3人で訪ねようじゃないか!企画。


笹塚駅で降りて、

商店街を抜けて、

渋谷区笹塚エリアから

中野区南台エリアへ。

水道道路を渡り、ズンズン進む。

ズンズン進む。




    …あれ?



どこだ?


なんとなーく見覚えのある祠とか

なんとなーく見覚えのある3叉路とか。


     あれ?



うっそこんなに歩いたっけ?

あれ…


だんだん記憶があやふやになっていく私。

ただただ無心についてくる息子は私の表情の変化を見逃さない。


「…え?住んでたんでしょ?」

「20年前じゃ!20年!!!」


2回くらい来たことのある旦那さんは半笑い。


「これ…もうなんとなくだけで道選んでる…でしょ…?」

「だから20年じゃ!20年!!!!!!」


歩きまくること、2時間。約20,000歩。

その頃同居してた女の子にヒントを得るも
やはり辿り着けず。

あまりに無謀な状況に3人もう笑い転げながら徘徊する。寒風。


どうしてもどう頑張っても辿り着けず。


もはや啓斗の計画

「吉野家六本木4丁目を【住み家】として深夜バイトやってた驚愕の3食牛丼時代」
を検証する予定は割愛として諦め、今回の締めスポットへ向かう。

その吉牛時代に知り合った駒澤大学の年下彼氏と一緒に暮らしてた頃に住んでいた駒沢時代のバイト先、

今でも節目節目のご馳走に訪れる
「ニューテキサス」へ予約してくれていた。(ここは本当に美味しい本気で美味しい)


予想を大幅に超えた歩きまくりにより信じられないくらいの空腹を抱えて駒沢に辿り着き、
まず、暖かい室内で椅子に座れることに幸福感を感じる3人。

そして、サラダをモリモリ食べて、
ステーキをもりもりもりもり食べて、

 さまざまな要素が復活。



かつて住んでいたマンションの前に行き、
そこはかろうじてちゃんと残ってて、
なんとなくみんなで足跡をしっかり辿ってやったぞ!という気分になって、

帰宅。健やかに泥のように眠る。


1月22日。

DJ旦那により
渡辺美里「My Revolution」がかかり、起床。

バースディモーニングを東家御用達喫茶店へ。

定例だった
「あんこのせて蜂蜜たっっぷりかけたバタートースト」を注文せず
心頭滅却して珈琲のみ。


なぜか今日に限って、
ちょっとした美味しいウエハースチョコをおまけに持ってきてくださる店主。
もう絶対に誕生日ってバレてる。絶対、東家の個人データは把握されてると確信。


のんびりゆるりと家で過ごし、
お昼に啓斗に誕生日特製ラーメンを作り、
自分用に珈琲を淹れて東京を出発。


特急あずさに乗り込み、

自分の写真を撮る。いわゆる自撮り。


年明けからの数週間、

めちゃめちゃ自分のこれまでを書き出し、
それを読んで、
自分がいかにしてコンプレックスを丁寧にじっっとりと育て上げてきたかを思い知って。


小さい頃から写真を撮るのもただの罰ゲームだったんですよね。
出来上がった写真を見るのが憂鬱でした。
よく学校で注文とかで貼り出されるのとか、
完全に公開処刑だった。

というわけで写真を撮る時いつも自分の顔を
特に口元を隠してた。
(10代の頃、男の人と話す時は必ず隠してたんですよ、
 ブスだって思われながら話すのやだなって。自意識!!!)


でもね笑


私は子どもの頃もブスって言われまくってたけど、劇団入ってからもブスな役しかやってなかったけど、


一番自分をブス扱いしてたのは



       他でもない私だった。



結婚して、手で隠すことはもうなくなって、

でもその代わりに

ばかっと口を開けて盛大にクシャっっと笑うことで「苦手な写真撮影」を乗り切ってた。

その笑顔を褒めてくれる人の声に安心して。


でもそれは嘘くさいって本当は自分では分かってたんですよね。

だからもうね、47歳になって、卒業しようって思ったんですよ。


そういうことが

「自分を大事にすること」

かもしれないって。


だから特急あずさの中で撮ってみて、もちろんいわゆる美人さん!ではないにしろ、
あぁ、私この目と鼻と口で、生きてきたんだ、よくやってきたんだなって思えた。


それをまたFacebookに放つという挑戦もした。


あれは、60枚くらい撮って、ほら、入れ歯もあるし口元がなんか歪んじゃうから、
いろんな笑い皺とか、その微妙な繊細な「あちゃー」をなんとかかいくぐっての1枚でございます。


さて、穴山駅の無料駐車場から自宅に向かい、

友達からの本当に美味しい嬉しい贈り物も受け取り、

大事な友達とも逢えて
真心からのやりとりもできて
史上最強に清々しいさよならをして氣持ちが凛とする。

お風呂に入って、禊いで、支度して、

白州横手むすひの里へ。

私が八ヶ岳に来て出逢うことができて本当に本当によかったと思える仲間のみんなの前で、【鬼会】をさせていただく。

それは去年までと全然違う【鬼会】だった。

その後、みんなが心尽しの真心いっぱいの誕生日を祝ってくれたんですが…これがもう…最高に幸せで、ありがたかった。


美味しく安心して食べれる優しいご馳走達。

真っ直ぐに見つめておめでとうって言ってくれるみんなの優しい眼差し。


いろんなことがありまくった私の人生は

47年かけて

こんな素晴らしい場所に辿り着けている旅だ。


最高じゃないか。


帰宅して、幸福な気持ちで、ゆっくり眠る。


1月23日。

*まこもてらす*(真菰仲間会員制度)の募集開始。

八ヶ岳の絶景棚田真菰田んぼ。ヤギさん。羊さん。古民家。縁側。畳とレコードで聴くジャズ。
渓谷。甲斐駒ヶ岳神社。フォッサマグナの温泉。自分で焙煎する珈琲。むすひの里の美味しいご飯。
いろんな人の、ゴロゴロ寝っ転がれる田舎の実家の古民家に、
なにげない故郷な自然体験の田んぼや畑に、
*まこもてらす*がなれますように。
秋には美味しいマコモダケを贈れますように。

冬にはみんなで真菰の手仕事をできますように。


1月24日。

家中が凍った朝。あらゆる水分が凍ってて笑う。
その後焦りまくるも、こたつがあったかいからもうよしとして温熱手当。
そしてノートを書く。自分のかつての記憶が、自分の今の癖と繋がっている。
それがただの出来事としての記憶でなくて、傷の瘡蓋だったりする。
たまに号泣しながら、でも書く。


1月25日。

籠って温熱手当。ノート。温熱手当。お風呂。

誰かを傷つけた過去の自分の弱さにげんなりする。
目を背けない。観る。観る。観るよ。


1月26日。

健康長寿会の皆様にお鍋と珈琲のケータリング。出張瀬術。
あとは籠って温熱手当。ノート。諦めない。


1月27日。

29日の韮崎公演【鬼会】に向けて準備。手当。

むすひの里のみんなと話してて、
自分一人で食べるご飯には私、
全然氣持ちを込めて料理できてなかったことに気がついて愕然とする。
誰かが食べる、誰かと食べるご飯の時は野菜も包丁もお皿もお鍋も、
掌から伝わる何かを意識してたのに。
帰宅。ノート。手当。号泣。ごめん、今まで。自分の身体に謝る。


1月28日。

素粒水のシステムを水道につけた。
元々埋没式のマナウォーターをつけてたから美味しかったし氣持ちよかったんだけども、
素粒水もつけたらなんかもうニヤニヤする水。

ものすごくクリアでさらっさらな爽やかな水が

さらにそこに柔らかく優しい光が宿ったみたいな。あぁ、嬉しい。ごくごく飲んで温熱手当。ノート。


1月29日。

韮崎の大村美術館敷地内の螢雪寮にて【鬼会】
素晴らしい場所でさせていただけたことに心から感謝。無闇に身を削らずの、全身全霊。


 震えた。


心温まる差し入れ、ケータリングでの直会では
感激した皆さんの一人一人の声も聴かせていただき
この舞台の意味を自分でも再認識する。


相当に風変わりなこの舞台は、

本当にその時縁のある方だけが立ち会うことになる。その不思議を改めて深く味わう。

そして奇跡みたいな空間のありがたさに、
本当に、涙が出るんだ。


主催のお二人とまたゆっくり打ち上げしましょうと約束して帰宅。
長く風呂に入り、栃木から来てくださってた快医学の高田さんが夕飯を支度してくれてて、
一緒に食べて、手当のおさらいを学んで、施術を受けて就寝。


1月30日。

引き続き温熱手当の復習。
大好きな人と、大切な話。ノート。


1月31日。

手当。ノート。手当。



手当、手当と連呼しておりますが、

ええ。どこがそんなに悪いの?ですよね。


私ただいま、内臓のいろいろが大変に疲労困憊になっております。
特に、膵臓と、胃と、腎臓肝臓。多いな。

思い返せば

東京に暮らしてたこの数年、

時に死ぬほど餡子を食しまくり

時に死ぬほどチョコと小麦と油脂を食しまくり

八ヶ岳に来てからは1人食事の際にはもう不摂生グランプリな食生活をしていたわけで。

人がいると大喜び大はしゃぎで作るのですが

ポテチ2袋とチョコ交互で頬張って夕飯!とか

1日かけてシュトーレン1本を完食摂る液体は珈琲一択!とか

ニヤニヤしながら
「一人暮らしって楽しいね〜美味しいね〜」「うふ!悪い食事!✨」
ってはしゃいでおりました。


冬になって農閑期に入って、

日野春古民家いのちてらすが

「快医学」という分野とグッと距離が近くなり、ようやっと自分の身体にいざ向き合ってみたら、



  本当に、けっこう、やばい。



という状況だったのです。

(西洋医学の病院の検査結果ではありません。

 でも、私が自分の生活を変えるには十分な診察結果だったんだっていうことです)

というわけで

快医学の手当を今自分にしております。

でもこれが本当に、

容赦無く自分のイノチとの向き合いになる。

心と身体は本当に繋がってて、

自分が自分の心を
自分の存在を否定しまくって生きてきたことが



 え?別にじゃあ死んでええんじゃないの?



って、今身体がそれに正直に応えてるとも言える。


だから、この1月はまさに
自分自身との向き合いで
しんどいけど

自分を粗雑に扱ってきたその結果としての
今を受け止める

ということ
そしてね。


気づくのに、
変えるのに、
「もう遅いから無意味」は絶対ない!ことをちゃんと自分で自分に証明するってこと。


砂糖をやめて、
小麦粉をやめて、
食事の量を適正に減らし、
無闇に流れで食べず、
自分の身体に心を澄ます。
よく噛むこと。
水分もしっかり摂ること。


逢いたい人に逢うこと。


夜はWi-Fiを切って眠ること。


やってみたら本当に
体が楽だったり
健やかだったり


あぁぁあぁああこっちのがいいわぁああああ


だから、続ける。

もちろん、珈琲と甘いもの✨の誘惑は

たまに夢に出そうですがね、


やっぱり身体が喜んでるのが分かるから。

今の選択を。


生きてきて初めてなんですよね、

完全に食養生としての食事をすること。

こんなにも人に逢わずに自分を続けること。


【鬼会】ツアー。

2月4日の神楽坂公演

3月11日の奈良公演

3月20日の熊本公演
(19日はノウサギ市参加。歓喜。
 なので今回の写真は野うさぎ市にて
 コスプレレイキマッサージ「鬼」の際の写真。
 映り込んだ光が縁起佳い感じだったですねこれ。)


公演以外の時間は手当と内観を続けます。

そして、いろんな逢うべき人に逢って、

相手と、そして自分と、丁寧に向き合って

優しい決着をつけていきたい。


そうして

真菰仲間会員制度*まこもてらす*が始まる春

4月の【我妻啓光快医学14時間講座】


をパワーみなぎるココロとカラダで迎えること。


楽しみで仕方ないし、

その時にはちょっと甘いものもOK✨って

いう状態になってたい!ので!


頑張りますよぉおおおおお。



 さぁ、1月がお開きになり、もうすぐ節分。幸せになれ、世界中。

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